自分を信じる強さを教えてくれた人へ

自由大学との出会いは2012年。
『自分の本をつくる方法』という講義を受講したのが始まりだった。
新卒で入った会社を2年で辞め、転職先に馴染み始めた頃だ。
もう記憶も遠くなってしまったが、何か新しいつながりを作りたいと思っていたような気がする。

当時は今ほど学びの場というものはなく、いわゆる学校か、カルチャースクール的なものどちらかが主流だった。その中で、自由大学は異彩を放っていた。
その場をつくった黒崎さんが2026年3月、遠い場所にいってしまった。
70代の半ばを過ぎてもフットワーク軽く国内外を飛び回っていて、昨年体調を崩された話を聞いても一過性のもので、退院の知らせも聞いていたので、また元気に永田町のMIDORI.soオフィスで会えることを疑いもしていなかった。黒崎さんと近しい人たちに近況を尋ねることもしないくらいに、それが当たり前だと思っていた。

黒崎さんと最初に会った日がいつなのか、記憶を掘り起こしても出てこない。
でも常に黒崎さんという存在があった。

自由大学には教授や受講生や、よくわからないけどユニークな人がたくさんいた。
私が通っていた頃、自由大学は池尻にあった。IID世田谷ものづくり学校と呼ばれていた時代だ。
三軒茶屋と池尻の間にあり、どちらの駅からも遠かった。当時京王線沿線に住んでいたので、下高井戸駅で世田谷線に乗り換えて通った。受講生時代と、それから数年ほど。アクセスの悪い場所だったけど、そこに「わざわざ」くる人たちはみんなちょっと変な人だった。
会社を辞めたばかりだったり、自由大学に関わってから辞めるような人がとても多かった気がする。
黒崎さんはその元締めという感じ。
そこにいなくても、常に気配があった。


受講生として自由大学と接点を持ってからしばらくして、自由大学のホームページに掲載する「フリユニピープル」という、教授や受講生へのインタビュー記事を書く仕事を始めた。その頃には池尻から表参道にキャンパスを移していた。
表参道の交差点からすぐ。
資本主義の真ん中みたいな一等地で、そんな気配はなく黒崎さんのつくった世界があった。今思い起こしても、いや2026年の今だからこそ、あの場は夢の箱庭だったのではないかと感じる。

ほどなくして運営チームとしても関わりを深めていき、黒崎さんと言葉を交わす機会が増えていった。
何度かインタビューという形で言葉を残し、改めて読み返している。

未来はエゴのない社会に向かうという記事は、自由大学で2019年からの新運営チームがポートランドでのクリエイティブ・キャンプをはじめるタイミングで話を聞いた。
こんなことを黒崎さんが話している。

利益が生まれたらそれをみんなで分配すればいいだけで、考えるべきは「どう利益を生み出すか」なんです。会社の看板とか名刺の肩書のために働くのではなくて、社会に貢献することで対価としてお金が戻ってくる。価値を生み出すのが働くことなんじゃないかと。

出版に例えたら、目的は本を出してみんなに読んでもらうことなのに、どこの出版社から出して、何万部刷って印税はいくらでと条件を考えて、大手の出版社から出したい。だから、その出版社で本を出せるようにアピールしようって、本末転倒だよね。大手だから売れる時代は終わっていますよ。

このとき私は「黒崎さんが言うからそうかも」と思い、文字を打っていた気がする。でもそこから6年の年月が流れ、この言葉のままの現状があると感じる。
かつての社会が評価した「看板」はあらゆる業界で急速に色褪せている。もうしがみついて逃げ切れるフェーズは終わってしまった。

前述の記事の前、自由大学が新体制となった時のインタビューがある。

人生に問いを持ち続けるためのヒント

ここから1年も経たずしてパンデミックが起こり、道半ばとなってしまったことがたくさんある。
それを悔やみながら、ある箇所に視線が止まった。

自分自身がメディアになる時代で、自由大学にとっても発信は重要です。ZINEを作るとか、ウェブサイトを改修するとか、ありきたりでも大事なことはやっていこうよ。

黒崎さんは生前、自身の著書は出さなかったが、クリエイティブ集団を持ち、『TRUE PORTLAND』、『NORAH』などを生み出してきた。
紙の媒体を出すこと、その価値を解かれながら、踏み出さなかった自分を悔い、今、ZINEなど小規模出版物に焦点を当てた場を作ろうとしていることに「それをしっかりやりなさいよ」と言われている気がする。

黒崎さんから学んだことは多くあるが、なにより、黒崎さんや、黒崎さんが始めた取り組みに影響を受けた人たちにより、今の私がある。
自由大学は最たるものだし、他にもMIDORI.soや青山ファーマーズマーケットなど、さまざまな繋がりができた。具体的なもの以外にも、思想、感性の厚みを持たせてもらった。

黒崎さんがこの世を去り、さまざまな人がその大きさを、自らに与えた影響を偲んでいて、生きる理由、証とはこれではないかと思っている。
どれだけ財を成したかとか、名を残したかとか、そんな小さな半径ではなく、人から人へ、その先へ連鎖するような震源地になった。この反響する存在感こそが黒崎さんという人の偉大さを表しているような気がしている。

その人が死出の旅に出たその後も、残したものは芽吹いて根ざしていく。
それを証明していくのが、遺された者の役目だ。


私などが語るにはおこがましいけれど、今だからこそ書き残しておこうと思う。
すでに大きなものを遺してもらった。
それでも、もう会えないということが本当に残念だ。

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2026/03/16〜03/31